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法話

一心に務める

臨済宗妙心寺派 観音寺 山崎忠司

 

今回は三仏忌の降誕会について書かせていただきます。

三仏忌とは、お釈迦さまが真理の世界をはっきり自覚し仏教が始まったとされる十二月八日の成道会と、お生まれになられた四月八日の降誕会、お釈迦さまが亡くなったとされる二月十五日に行われる涅槃会を三仏忌と言います。
お釈迦さまが生まれると同時に、母親は亡くなってしまいました。誕生を喜ぶべきか、母の死を悲しむべきか、周りのものは迷われたでしょう。
生まれたばかりの、お釈迦さまは七歩歩んで右手で天を指差し左手は地を指して「天上天下唯我独尊」と叫ばれたと言われます。
その奇瑞を見て竜王が甘露の雨を降らせたと伝えられています。それにより降誕会には花御堂にある誕生仏に甘茶をかけて祝うのです。
愛媛県の各仏教会でも花祭りが開催されています。参加してみませんか?

しかし、まさか生まれたばかりの赤ん坊が立って七歩歩き「天上天下唯我独尊」と叫ばれたと私は思わないのです。生まれた赤ん坊が足をバタバタさせ、大きく息を吸い込み、右手が上に左手は下に胸筋を開き、オギャーと生きる意思を示された姿に、訪れていた聖者が、お釈迦さまの姿を見て「天上天下唯我独尊」という教えを聞き取られたのでしょう。
周りには花が咲き誇っている季節です。このお釈迦さまの心を頂き心の花を咲かせていくのが花祭りの真の意味だと思えるのです。
この「天上天下唯我独尊」の後には 「三界皆苦吾当安此」と「全ての世界に生きるものたちは苦しみ迷っている。私はこの者たちに安らぎを与える」と仏典に示されます。
「天上天下唯我独尊」全ての世界の中で、私こそ尊いと誤り受け取る者もいますが、真意は全ての世界の中にあって、この生を受けたものは唯一無二であり真に尊いものである。という真理です。
どうして赤ん坊のこの姿が尊いのか、赤ん坊は泣くにも笑うにも目の前の事に一心です。辛い時は泣き、喜ぶことがあれば笑う、目の前のことに対し一心、この姿が尊いのです。しかし生きていくうちに、いろいろ学び、自分を向上させるため自分中心に物事を見て考えるようになります。そこに苦しみは生まれるのです。

最近投資詐欺がテレビで語られることは少なくなったような気がしますが、未来の不安を煽り、詐欺グループは迷える若者を犯罪に引き込むようです。近頃、捕まったことも報告されていないところを見ると、次の新しい手を考えているのかもしれません。
加害者被害者ともに心の中にある、迷いを抜いていくことが、私たちの心に花を咲かせることになると思えるのです。
しかし、よくよく考えてみると特殊詐欺のその根底にあるのが振込口座であると思われてなりません。
私たちは生活するうち、いろいろな便利を享受するために口座を持ちます、しかし使わなくなった口座を、そのままにしている人も多いと思うのです。
そんな中、良いバイトの口があると誘い込まれ、口車に乗せられ口座を売ったりすることが深みにハマる入口のように思うのです。子供達が犯罪に関わらないように、いらなくなった口座は閉じることを率先しましょう。
「解っちゃいるけど、面倒くさい」こんな思いを起こさず、目の前に起こることに向き合い理由づけしない、それが苦しみを無くしていくことに繋がるでしょう。
気づいたことを務めて行く姿は、迷っている人々に教えとして届くでしょう。自分を含め迷う人をも、心安らかにするのです。「純粋な心で物事を見て、行動に理由づけをしない」一心に目の前のことを務める。そんな日々が心の花を咲かせます。それが降誕会にある教えだと私は思うのです。

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