觀音寺 山崎忠司
県仏のホームページをご覧頂き、この法話のページを開かれた方に感謝申し上げます。
県仏教会では仏教に関心のある皆様に、解りやすく仏陀や祖師方の教えを説くことにより仏教に関心を持って頂きたく、今回より法話を連載することに致しました。
今回は会長である私が仏陀の教えに触れてみたいと思います。
そもそも私が会長というこのような大役を引き受けているか考えると、ご縁に導かれたとしか思えないのです。
二十年程前・臨済宗妙心寺派の布教師になり人前に立つご縁を与えられ、何をしたものかと悩んでいました。そんなとき六月に開かれる京都東林院の「沙羅の花を愛でる会」で観光客に説明をする仕事を代わりに引き受けてくれないかと「難しい話はいらないから。相手に応じた話をすることが大切だよ」と、先の見えなかった私はこのご縁を引き受けたのです。
沙羅双樹は平家物語の冒頭にも読まれ「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす」とすべての物事は移り変わる。諸行無常であることが示されますが、それを忘れて生きる人間の哀れを平家物語は示しています。
日本で沙羅双樹と呼ばれる木と、インドの仏陀が亡くなった場所に茂っていた沙羅双樹は違う木です。
日本のものはツバキ科の中木の夏椿です。梅雨のころ咲き、朝咲けば夕方には散る一日花。
インドのものはフタバガキ科の高木で、花は鈴なりに咲きライラックのように花をつけます。二月十五日に仏陀が亡くなると、ときならぬ花をつけ、四本は大きく繁り四本は枯れたという四枯四栄の故事と、仏陀の涅槃から無常のことわりを示します。日本の夏椿は花の短さゆえ沙羅は別名が冠せられたのです。
観光客のほとんどは、まず咲いてる花を写真に収めますが、私どもは緑のコケの上に落ちた白く美しい花を見て、いつ散るか解らない自分の命にむきあい、命のはかなさを感じて頂きたいのです。
今ここをいかに生きるか法話をしていると、見たことのないインドの沙羅をまるで見たかのように話す自分がいました。
そのときインドの沙羅双樹を観てみたいという、布教師として大きな願いに目覚めたのです。それを口にしているとご縁が結ばれたのかインドへの旅が実現したのです。
釈尊の聖地への参拝、和尚として一つのことを成し遂げた気になっていました。
インドの地に立ってみて、まずガイドさんに注意されたのが「子供たちへの寄付をやめてください。一人にあげると皆が集まり収拾がつかなくなるのです!」旅のなか子供たちがつぶらな瞳で施しを求めてくるのを振り切るのは大変でした。
そんな中、念願の涅槃堂へのお参りとなりました。お堂の入り口には大きく育った沙羅双樹と、少し枯れたかのように衰えた沙羅双樹がありました。子供達が「沙羅双樹の数珠、十本二千円・・・」と売ろうと必死です。
まず子供達を振り切り参拝のためお堂に入りました。私が導師を任されると、線香を立てる高炉が涅槃像の足下に設置されています。法要していると待ちきれないのか団体客が、私の目の前にある仏陀の足の裏に金箔を張り付け五体投地の礼拝をしていきます。初めは待てば良いのにと思っていましたが、顔でもなく胸でもなく、なぜ足に礼拝するのだろう?ふと・・この人達は釈尊の智慧を褒め称えているのではなく、慈悲に満ちた釈尊の人生・行動に礼拝しているのではないかと・・・。
お参りを終えるとまた子供達が沙羅双樹の数珠を売りつけようとします。二千円で沙羅の数珠があるわけないと私はかたくなな心で門に向かいました。
すると門の外で「三帰依文」がきこえてきたのです。親がアコーディオンを弾き三人の子供達が歌い踊っていました。「ブッダン サラナン ガッチャーミ・ダンマン サラナン ガッチャーミ・サンガン サラナン ガッチャーミ」とこの最後の一句に足が止まったのです。「お釈迦様に帰依します。お釈迦様の教えに帰依します。お釈迦様の教えに帰依するあなた達に帰依します」と、自己を省みると布施を説きつつ行動が伴っていない自分に深い反省がありました。この歌のおかげで引き返し子供達に真の布施をすることが出来たのです。
バスに乗って後悔が・・・。子供達を信じて沙羅の数珠も買うのだったと反省していると。先輩が沙羅の数珠を配っていました。「子供達と交渉して半額になったから気兼ねしないでね・・・」色々な物事や、出会いの中にある深いところを観て取り、心を行動にうつしていく先輩の自由自在さに感動したのです。
わかっているのに行動をためらう自分、そんな私に気づかせてくれるご縁をしっかり受け止め、いまここにあることを一つずつ務めていくことが仏陀の説く無常の教えであると思えるのです。良きも悪きも色々ありますが、ご縁を生かしていくことが大切です。
皆さんも色々なご縁を生かしてください。ホームページご覧頂き有り難うございました。