観音寺 山崎忠司

私が県仏に会長として関わったこの最後の機会に、三仏忌について記すことができることを光栄に思います。
三仏忌とは、お釈迦さまが生まれた降誕会、お釈迦さまが亡くなった涅槃会、お釈迦さまが修行のすえ目覚められ、仏教が誕生した成道会です。
今回、この成道会について書かせていただきます。十二月八日は仏教が生まれた日なのです。
各市仏教会でも法要を行ったり、募金活動を実施したりします。
お釈迦様は物事を深く考えられ、生き物は互いに争い殺しあう。この現実に悩まれたのです。
これは人間においても同じことであると悩まれ、争いが止まない社会を思い、心を痛められたのです。両親は安楽な現実を目の前に作ることによって悩みを解き放とうとしたのですが心が晴れません。
この悩みをとるには修行しかないと苦行の世界に足を踏み入れ、これ以上の苦行は行なった者はいないほどの行をおこなうのですが、心の平安は訪れなかったのです。
苦行では心の安定は訪れないことを自覚し、山を下り川の近くで行き倒れてしまいました。それを見かけた村娘のスジャータによる乳粥の供養により、なんとか力を取り戻し、沐浴をして対岸にある菩提樹の木の下に坐禅する場所を整えます。
悟りを開く事ができねば、此処で命を落としても叶わぬという覚悟で坐禅を始めるのです。
坐禅をしていると、まず猛獣が現れ、坐禅をやめないと殺すぞと脅します。これは「自己保存」という生き物の本能の一つに訴えかけているのでしょう。
それを退けると今度は美女たちがやってきて、そんな苦しいことやめて私たちと遊ばないか、と言って坐をたたせようとします。これは「種の保存」本能によるものでしょう。
最後両親や嫁子供が来て、お城で私たちと暮らしてくださいと懇願するのです。これは人間だけにある「喜ばれると嬉しい」という本能なのでしょう。
これらの本能さえ退け、静かに坐っていると心が落ち着いていったのです。そんな状態となった八日目の朝、いつもの朝日を見たとき、いつもとは別物として見え、「ああ、光っている」悩みである妄想執着が取れ、太陽と共に自分が輝いていることを悟られたのです。
自分の思い込み、迷いが自己を輝かせることを阻んでいたのだと、その思いを「奇なるかな、奇なるかな、一切衆生悉く如来の智慧特装を具有す。ただ妄想執着があるが故に証得せず」と・・・。
光と一体になって自分が輝くことによって。周りの迷いを取っていく事ができる。そんな素晴らしい働きを全ての生き物は持っている。一つの事に拘り迷っていてはいけない、広い世界観を持つ事を教えるのが仏教なのです。
私たちは、色々な世界観に偏り、拘り、囚われています。これらが広く深く物事を見る目を曇らせ、自身を不自由にしているのです。

今日までの自分を振り返ると妄想執着に迷って右往左往していました。住職になっても、褒められるために日々を務めていた時がありました。
ある時、帰省してきた人がうちの観音様をお参りに来られお茶話になりました。「昔の遊び場だった堂崎ではないね。大きな松があって遊び場だった明るい感じは消え失せている。雑木がはえ薄暗くなり蜘蛛の巣だらけの本堂裏は昔の面影がないね・・・」
私は、日々の落ち葉の掃除で本堂前と参道の掃除に追われて裏の掃除にまで私は手を入れる事ができずにいました。
これを機に一念発起して、子供の頃遊んでいた明るく光の入る山にしようと雑木を1メートルほどに伐採したのです。
仕事をしながら、藪椿が多いし椿の庭でもできたらいいと考えていました。
10センチくらいの幹は力があるから目は出るだろうけど、3センチぐらいの椿は枯れるのではないかと諦めてました。
早春となり椿は私の予測に反し、まず小さな幹から芽が出てきて、そのうちに大きな幹からも芽が出てきたのです。
今では剪定を行い庭造りをしています。この体験をもとに大きな木は大きな木なりに、小さな木も小さな木なりに懸命に芽を出そう。生きようとしていることを学んだのです。小さいからダメ、大きいからヨイという観念に私は縛られていました。
自ら良い縁を与え続けることこそ大切であることが心に刻まれたのです、自分自身が目前にあるご縁を生かし、智慧に目覚める事が大切なのです。
「慧」とは悟りに導くものであり。悟りにおいて現れるものなのです。「智」は世の中に向かって発見されるものであります。思い通りにならない差別相対の世界において自在に働いていく、これが智慧に目覚めたお釈迦さまでありました。
今回、県仏会長職を終えるにあたり。私なんかで良いだろうかと思った当初の自分を恥じ、任期終了まで支えてくださった皆さんとのご縁に感謝申し上げ、次の方に引き継ぎたいと思うのです。任期期間中ありがとうございました。